魚の装飾のある彫刻の夢

屋外の展覧会場を大勢の人が訪れている。コンクリートの大きな作品を見ているときに近藤さんと会う。ここへは妻と一緒に来ていると言い、少しのあいだ並んで見て回る。奥様のKさんがやってきて近藤さんに「アンコウも見ていく?」と誘うので、私も一緒に連れて行ってもらうことにする。Kさんは紺色の自転車に乗っている。「どれくらいかかるの?」と近藤さんが聞くと、45分くらいだという。歩いて45分か自転車で45分かわからないけど、どちらにしてもやや遠いと思って、速足でKさんのあとを追っていると、近藤さんがどこからか自転車をひいてやってくる。きけば展覧会場の近くでレンタルしたという。二人とも自転車だったら到底追いつけないと、あわてて私も引き返し、自転車のある店で貸してもらいたいと交渉する。やっと貸してもらえることになり店の人を待っているが、手続きに時間がかかって気が気でない。

焦りが募って混乱し、とにかく二人を追いかけようと走り出すと、足元はいつのまにか大きな旅館の板張りの廊下になっていた。二人の姿はもう見えないし、廊下を自転車が走るはずもない気がして、通りかかった仲居さんに聞いてみると、紺色の自転車に乗った二人なら、さっきこの道を通って行ったという。そうやって何度か旅館の人に確かめながら進んでいくと、奥へ奥へと人がどんどん向かっていて、つきあたりの大きな部屋に、祭壇のような巨大な彫刻作品があった。

私はもう近藤さん夫妻のことはあきらめ、列に並んでゆっくり進みながら、その祭壇型の彫刻を眺めていく。リーメンシュナイダーのような細かい装飾的な木彫で、土台に並ぶ横長のパネルに、いろいろな姿勢で泳ぐアンコウの彫刻が三点あった。目立つところにある大きなブドウのような装飾は、よく見ると彫り出されたものではなく、薄い木片を貼り付けた稚拙なつくりで、これはあえて崩して現代風にしているのだろうかと考えたりする。ところどころ原色で彩色もされている。そうやって全体が微妙にフェイクらしくなっているのが、考えれば面白いようにも感じられる。いつの時代の作品かと思ってみていくと、天宝という字がいくつか見える。天保の改革のてんぽうなら江戸時代かと思って、それでいいのか歴史を思い出しているところへ、Kさんがやってきて、アンコウを頼んでおいたから食べたら、と声をかけてくれる。

Kさんについていくと、脇に二方をふすまで囲んだ畳のスペースがあり、框をあがって座れるようになっている。すぐに小さな長方形の器に切り身の煮魚が運ばれてくる。Kさんたちが私のことを覚えていてくれて、しかも一緒に見に来ていると認識してくれていたと思うと、嬉しくてどきどきしてしまう。近藤さんはお手洗いにいっているとかで、食べながらKさんと話していると、近藤さんも戻ってくる。幕末くらいの作品ですかと話したりして、すこしゆっくりしたあと、もとの展覧会場に戻ることにする。

帰り道は洞窟のようで、巨大な木の洞穴のように、壁いちめんにつるつるした木の突起がつきだしていた。その中を滑るように進んでいく。

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