三島由紀夫『禁色』他

この冬、自宅に蔵書をすこし移したので、むかし読んだものを自然と読み返すようになった。萩原朔太郎、「山月記」、『梁塵秘抄』と読むうちに、上野の法隆寺館に足が向き、シルクロードに心が誘われて『敦煌』も読んだ。若いときはもっと、美の崇高性とかポエジーの絶対性とかを信じていたけれど、そのころと同じような強さで心が動くことも減って、寂しい。それもあって、そして世間的な忙しさを前に心が委縮して、静かに見たり読んだりする時間を疎かにしていた。考え方がどんどん俗っぽくなってきたのは、夢の記録をみてもわかる。超越的なものには出会えなくても、端正さにふれることが、そのつどわずかな間だけでも、自分を立て直すよすがになる。

その間に少しずつ『禁色』を読み返す。あらためて『ヴェニスに死す』の影響を感じたのと、恋の駆け引きのいろいろが、後年の三島の『レター教室』とか『不道徳教育講座』『反貞女大学』と、基本的には同じなことを面白く感じる。高校時代に自分の恋愛関係と重ねて読もうとしていたのは、今となってはこじつけだったし、もっとふさわしい小説を頼りにすべきだった。一番よくないのは、悠一がつまらない人間だという点で、もしかすると、彼も何年かすれば、『愛の渇き』の悦子のように憧れを知って魅力的になるのかもしれない。『禁色』と『ヴェニスに死す』で一番異なるのは、三島の作品にはディオニソス祭の場面がないことだけど、『愛の渇き』にはオルギアの場面がある。ーーこんなふうに三島がマンから受けた影響について考え始めるのは、作家の思う壺にはまるようで嫌だから、あまり突き詰めないようにしたい。三島由紀夫の魅力はなんといっても、優等生的な文章で、それにふれるだけで快感がある。身近に持ってきてよかった。

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